「仙台生まれのギャルゲーマー コスプレイヤー」の肩書で活動する霜月めあが、30歳の誕生日である11月14日に1st写真集『A.S.L.T.W』(玄光社)を発売した。
学生時代から芸能界を志し、最初にこの世界の門を叩いたのは某大手事務所のオーディション。グランプリには届かなかったが、最終選考まで残ったことで火がつき、本格的に活動をスタートした。現在はゼロイチファミリアに所属し「ゼロイチゲーム部」の部長も務めている。
ゲーマー、コスプレイヤー、グラビアだけではなく、最近では打撃格闘技イベント「KNOCK OUT(ノックアウト)」のゲスト解説を務めるなど、自身の好きを活かし活動の場を広め、そうしてたどり着いた写真集発売。同作は、地元・仙台の実家でも撮影したとのことで、まさしく10代から現在までを振り返る1冊になっている。
インタビューでは、写真集を発売できた心境から、芸能界を志したきっかけ、30歳を迎えた心境などを聞いてみた。
地元・仙台の実家でも撮影
――写真集の発売おめでとうございます。発売できた心境から教えてください。
出版社さんから紙の写真集を出すっていうことは、グラビアをやっている人たちみんなが目標にすることだと思うので、決まったときは本当にうれしかったです。デビューから約7年経ちますが、今までやってきたことの集大成みたいな。夢が1つかなってよかったです。
――どのようなテーマで撮影されたんですか?
今までの人生を振り返っているものになっていて、仙台の実家でも撮影しました。リビングでも撮ったので、背景にお母さんがぼやけて写っていたりもします(笑)。ジャージのカットもあるんですけど、私物です。
――印象に残った撮影を挙げるとしたら、やはり実家になりますか。
そうですね。お母さんがスタッフ全員分のお昼ご飯を作ってくれたので、リビングでみんなで食べたりもして、すごくアットホームでした。
――すてきなお母さんですね。
はい、すごく応援してくれています。私が雑誌に出るたびに買ってくれているみたいなんですけど、お母さんはずっとTSUTAYAで働いたこともあって、チェックしてくれていたらしいです。でも、私のイメージビデオが入ってきたときは「ちょっとびっくりした」と言ってましたね。18禁ではないけど、どうしてもアダルトコーナーに分類されてしまうみたいで…(笑)。
――(笑)。中には文章も収録されているそうですが、どういったことが書かれているのでしょうか。
引きこもりだった中学生のときのことや、どういう流れで芸能にチャレンジしたかってことなど、ざっくりと今に至るまでを書かせていただきました。
――中学生のとき、なぜ引きこもりになってしまったのか教えていただけますか。
原因はいじめですね。能天気だったので、最初はいじめられていることに気づいていなかったんですけど、気づいたときにガタッときて急に学校に行けなくなりました。同性からのいじめだったので、幼なじみは男の子が多かったですし、未だに地元に帰って遊ぶ友だちは男の子しかいないくらいです。高校からはリセットして頑張ろうと思っていたんですけど、女の子との関わり方がわからなくなっちゃって…。馴染めなかったので普通の高校はすぐ辞めて、通信制の高校に行きました。
――芸能には何をきっかけに?
17、8歳のときに、某有名雑誌のオーディションを受けたんです。そしたら最終オーディションまで残れて。そのときから「芸能やりたい」って思うようになりました。
「先輩が現役でグラビアをやっているうちはやめられない」
――写真集を発売するまでに、さまざまな経験を積んでこられました。次なる目標として考えていることはありますか?
雑誌のソロ表紙だけはまだかなえられていないんです。集合での表紙はやらせていただいたことがあるので、グラビア人生でソロ表紙はかなえたいと思っています。
――まだまだグラビアをやられていくと。
そうですね。1番仲がいい先輩は青山ひかるさんなんですけど、私より年上なのにまだ現役じゃないですか。先輩が現役でグラビアをやっているうちは自分もやめられないと思っています。それに、今はグラビアの寿命が伸びていると思うんです。少し昔は「30歳はおばさん」って言われていたと思うんですけど、今そんなことないので、許される限り続けたいと思っています。
――これからの活躍が楽しみです。最後に、30歳を迎えた心境、今後の展望を教えてください。
20代は本当に爆速でした(笑)。戸籍上は30歳になりましたが、気持ちは23歳ぐらいで活動しています。年齢はただの数字だと思っているので特に何も意識はしていなくて、これからも霜月めあとして生きていこうと思っています。ただ、美容は頑張ります!


